日々の記録

物欲にまみれた日々です。お人形遊びをしています。

3.30

変に一つの通過儀礼のように思っていて、それでも通過できないのはエログロ暴力描写です。なぜだ。こういうのはたぶん好事家たちがひっそりと楽しむものだろうに。なんでそんな意識を持ってしまったのだろうか。
別に誰に勧められたわけでもなく、エログロホラーが苦手だからといって困ったこともない。読む選択肢が多少狭まるけど。
偽物だとわかっていてもお化け屋敷に入れないし、フィクションだとわかっててもエログロホラーが読めない見れない、カマトトぶったやつ、というところに自分の致命的なおつむの弱さを見る。虚構なのだと割り切れない自分に不安になる。私は虚構と現実の区別が今ひとつついてないタイプなのだろうか、という不安のせいなのかな。
そして、これらをフィクションと割り切って読むことができればもっと世界が広がるのかな、スプラッタ映画を観られないのは人生損してるのかなと子供っぽいことを思っている。
そんな、自分の中で、未成年にとってのタバコやお酒みたいな位置にいる気がする、妙に吸引力のあるエログロ作家たちが数名いる。なぞの引力を感じる。でも暴力表現も主人公いじめもパンズラビリンスがぎりぎり限界だったんだからやめなよーと思う。
でもでも漫画の純度が高そうっていうか面白そうっていうか、そういう点でも気になってしまうのだった。やめときなよー。

明らかに実際の事件とか出来事を下敷きにしているものは別で、それは心安らかに自分の好奇心や野次馬根性を肯定できます。読み通せるかは別だけど。エンタメとしての暴力表現や悲惨さに拒否反応が出ちゃうのは、やっぱり虚構と現実の区別が曖昧な人間なんだろうか。
近親相姦ものも読めない。未成年に手を出す大人が出てくるフィクションも割と苦手だ。
寺山修司吉行淳之介の対談で、妹との近親相姦願望があるかないかという話題を読んだのを思い出す。吉行淳之介(確か妹がいる)は寺山に妹がいないから近親相姦なんて想像できるんだと言っていたような。でも、寺山修司は虚構という点を相当意識していた人だろうだから、むしろそういった視点のあるなしによる価値観のずれなのかなと思った。
私は想像の中でさえも社会的規範から逃れられないタイプなのかも。だから虚構のなかのインモラルが受け入れられないのかもしれない。別にすごい真面目人間ではないんだけども、根が小市民的なんだと思う。つまんないやつだなー

思いがけず、すごーくだらだらした自分語りになってしまった。しかも超どうでもいい類のやつだこれ。

結局ただ、嗜好の問題だよねで終わっちゃう